自分のココロに気づくブログ

不安や悩みと向き合う切っ掛け

「わからない」を受け入れる

私たちは「わからない」という状態を恐れます。

自分の人生はいまこれでいいのかと確証を求めたくなります。

 

「悪い知らせ」よりも「知らせがないこと」のほうが怖いのです。

はっきりした悪い診断より、あいまいな診断のほうが私たちを不安にさせます。

知りたいという欲求は人間の心の奥深くに存在しています。

 

神などを見いだすことにより、私たちは知らないことからくる不安を軽くしようと

します。

先行きに不安を感じる状態のときは、人は確かな知識で安心させてくれる指導者

にしたがいます。

 

病気のときは、医者を崇めます。

子どもなら、何でも知っているように見える大人に不安を鎮めてもらおうとします。

成長して、両親が決し完璧ではないとわかると、今度は神、メンター、リーダーなどに

その役割を求めます。

 

それでも心の奥底では不安を感じています。

なぜなら、それでも「わからない」ということを自分でもわかっているからです。

歴史学、ココ学、そして心理学をもってしても、人類全体、または個人の過去を

十分に説明することはできません。

過去や未来どころか、この「いま」についてすら何ひとつ知る手がかりはないのです。

 

では何ができるでしょうか。

「わからない」ということを受け入れることが必要です。

 

たとえわからないことがあっても心穏やかに過ごすためには、その不確実さを

歓迎しなくてはなりません。

自分たちの無知を心から受け入れることができたら、知らないものに対する不安を

畏敬や驚きという感情に変える準備ができます。

世界、そして人生を、奇跡に満ちた物語として見直すことができるのです。

 

ここで考えてみましょう。

あなたは、どんなものに対して畏敬の念を覚えますか。

世界は奇跡にあふれていると感じたのは、いつ、どんな場面だったでしょうか。

 

ポジティブ心理学創始者のひとりである故フィル・ストーン氏は、1999年の第1回

ポジティブ心理学サミットで、弟子に「歩きにいこう」と誘いました。

「どこへ?」という弟子の質問に「ただ歩くのさ」と答えます。

 

その弟子は、それまで学んだ中で最も重要な教えのひとつだったと言います。

外へ歩きに出かけましょう。ただゆっくりと時間を過ごすという以外には何も

目的をもたずに。

そして、この世界の豊かさを味わい尽くしましょう。

街の鼓動、村の静けさ、海の広大さや森の生命力を感じとる時間をとりましょう。

ただ歩くことを習慣にしてください。

 

ヘレン・ケラーは、次のようなことを書いています。

ある日、森の中を長い間歩いてきた友人に、ヘレンは森の中にどんなものがあったか

と尋ねました。

すると友人は「別に何も」と答えたのです。

 

そのときに感じたことです。

「一時間も森の中を散歩して「別に何も」ないなんてことがどうしたら言えるの

だろうと思いました。

 

目の見えない私にもたくさんのものをみつけることができます。

左右対称の繊細な葉、白樺のなめらかな木肌、荒々しくごつごつとした松の木の樹皮。

 

目の見えない私から、目の見えるみなさんにお願いがあります。

明日、突然目が見えなくなってしまうかのように思って、

すべてのものを見てください。

 

そして、明日、耳が聞こえなくなってしまうかのように思って、

人々の歌声を、小鳥の声を、オーケストラの力強い響きを聞いてください。

 

明日、触覚がなくなってしまうかのように思って、

あらゆるものに触ってみてください。

 

明日、嗅覚と味覚を失いかのように思って、

花の香りをかぎ、食べ物を一口ずつ味わってください。

 

五感を最大限に使ってください。

世界があなたに見せてくれているすべてのもの、喜び、美しさを讃えましょう。」