自分のココロに気づくブログ

不安や悩みと向き合う切っ掛け

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ある人たちが幸せになり得るすべての要素をもち、夢を実現して成功している

一方で、何度も不運や困難に直面し、惨めで人生を楽しむことができない人たち

がいるのはなぜでしょうか。

この不思議な現象は、次のように説明することができます。

 

それは、幸福というものは人生における客観的な出来事で決まるのではなく、

出来事をどのように解釈するかという主観的な心の働きによって決まるもの

だからです。

 

試合で優勝することから、試験で平均の成績しか取れないこと、思わぬ大儲け

をすることや恋人に振られることまで、人生にはいろんなことが起こります。

こうした出来事がどんな意味をもつかは、それをどう解釈するか、何に焦点を

おくかで決まります。

 

勝利したことや達成できたことを喜ぶのか、それをあたりまえだとして、完璧な

プレイができなかったと悔やむのか。

成績が悪いことや恋人に振られたことで自分自身を責めるのか、その経験から

何が学べるかに焦点をおくのか。

 

同じ出来事であるにもかかわらず、解釈によって意味が変わってくるのです。

悲しみやつらい感情に免疫がある人間はいません。

 

しかし、どのような状況でもそこによい部分を見つけられる人たちがいます。

彼らは他の人の成功を自分のことのように喜ぶことができますし、挫折を

チャンスに変えるコツを知っています。

 

そして人生を楽観主義で生きています。

他方、水が半分入ったコップを見て、「半分しか入っていない」と考える人たちは

幸せである理由をなかなか見つけることができません。

いつも不満を抱えて生きています。

 

前者は「いいこと探しの名人」です。

 

暗雲の中にも光り輝く銀の一条を見いだせる人。

レモンからレモネードをつくることができる人。

人生の明るい面を見ることができる人。

ありきたりの表現しか使っていないと言って作家をけなしたりなどしない人です。

 

一方、後者は「あら探しの名人」です。

 

彼らは楽園にいても何かしらの欠点を見つける人たちです。

あら探しをする人は決して幸せにはなれません。

最高の出来事が起こるのではありません。

起こった出来事を最高ののにできる人がいるのです。

 

あら探しをする人間は、どんなに成功しても、幸せを長く感じることはできません。

そして失敗することで、彼らはまた自分の陰気な人生観を強化していきます。

 

それに対して物事のポジティブな面に焦点をおくことを学んだ人は、成功と失敗

の両方から恩恵を受けることができます。

彼らにとっては、この世の中はどこを見ても成長と祝福のためのチャンスばかり

なのです。

 

ここで考えてみましょう。

あなたは「いいこと探しの名人」ですか、「あた探しの名人」ですか。

人生のどういう分野においてなら、「いいこと探しの名人」になれるでしょうか。

 

 

過去の出来事に対する認識を変えることは、「いいこと探しの名人」になる

第一歩です。

認識を再構築することで、失敗によるマイナスの結果を超えたその先を

見ることができるようになるからです。

 

どんなにつらいことであったとしても、その経験かっら何を学び、どう成長することが

できるか、時間をとって考えてみましょう。

 

いままでの人生の出来事を、

はじめは「あら探しの名人」として、

次は「いいこと探しの名人」として書きだしてみましょう。

 

たとえば、不合格だった試験について、最初は「あら探しの名人」として、どんなに

同店し、どんなにつらい経験だったかを書き、

次に「いいこと探しの名人」として、そのことによりいかに謙虚になり、

一生懸命に勉強することの大切さを学んだかを書きます。

 

「いいこと探しの名人」として書く際、つねに物事は最良のこととして起こるとか、

または何が起きようとも幸福であると考える必要はありません。

むしろ起こったことをあるがままに受けとめ、それを最大限に利用しようと

考えてください。